株式会社 アプレ コミュニケーションズ

NEXT Business & NEXT Persons
2020/10/09 更新

[第1回]10年+30年の仕事人生を振り返ることの意味

─2021年4月、会社が設立30周年を迎えます─

 “新型コロナ感染症”一色だった2020年を早く終えたい、というわけではありませんが、最近、会社設立30周年を迎える2021年のことを考える機会が増えました。私の場合、学生時代に起業し、在学中にお世話になった方と共同経営をした期間もあるので、およそ40年の歳月が流れることになります。
 「企業・30年説」。起業して30年生き残れる確率は3%だ、5%だという実態を指して、切りのいい数字をつけた1つの仮説ですが、多くの有識者・経営者が同様の説を唱えています。理由は、30代、40代で起業する方が多く、その方が60代、70代になって自分の経営人生を振り返る時期がおおよそ30年という歳月になるからではないかと考えます。「よくぞ、30年続けられた」と胸を張る経営者、「事業承継も含め、この先どうしたらいいのか」と悩む経営者…。その姿はさまざまですが、1つの時代を振り返るにはよい節目だと思います。

─リクルート系の編集プロダクションでの仕事に携わる─

 私は、1978年に早稲田大学に入学しました。生まれ故郷である会津若松市で謄写版印刷を営んでいた父は、私が小学校3年生のときに廃業。親(私にとっては祖父母)、妻(同・母)、子ども(私、妹、弟)を連れて、姉たちが住む埼玉県に引っ越しました。しかし、特別な資格・特技があるわけではなかった父は、会社こそ大手インキメーカーでしたが、夜勤中心の管理業務に携わることになり、7人家族を養っていくのは大変だったと思います。私が大学に入るときにも、入学金等で苦労をかけましたし、学費・生活費は自分で稼がなければという思いを強く持ちました。そして、いろいろなアルバイトに就くことになったわけですが、今日の自分の仕事に大きな、そして直接的な影響を与えたのが、リクルート系の編集プロダクションでのアルバイト体験でした。
 当時のリクルートは、『就職情報(後のB-ing)』や『とらばーゆ』等が次々に創刊された時期で、私が勤務していた編集プロダクションでは、多くの媒体の記事制作を請け負っていました。私も、アルバイト、それも社会人の経験がない学生の分際ではありましたが、就職情報誌の記事を制作したり、無料の広告を集めるといった仕事を任されました。
 現在、当社では「働く」ことをテーマにした仕事が中核になっていますが、そうした仕事が多くなった背景には、私がアルバイトとして関わったリクルートの仕事があったといえるでしょう。
 もっとも当時の私の編集スキル、書くスキルは未熟そのもの。手書きの原稿(まだ、ワープロさえない時代でした!)を上司に提出すると「う~ん」と唸られ、しばらくすると真っ赤になった原稿が戻ってくるという状況でした。それでも、何度か書いていれば(上司の赤字を直していれば?)、天は見放さない。ある日、文章の神様が降りてきたような錯覚に見舞われるほど、自然と記事らしいものが書けるようになりました。それ以降、書くスピードもあがり、書くという仕事が面白く感じられるようになったのです(書くことに苦手意識を持たれている方向けにちょっとしたアドバイス。書けるようになるためにはひたすら書き続けるしかありません。書き続ければ、いつかどこかで、書けるようになる瞬間が訪れます。それがなかなかこない人は、書く努力がまだまだ不足しているだけだと思います)。

─「食べるために働く」&「自己実現のために働く」─

 リクルートの仕事をする過程で、さまざまな経験をしました。いずれも印象深いものばかりですが、中でも時代を象徴しているなと思ったのが、アルバイト情報誌『フロムエー(FromA)』の創刊です。その当時のアルバイト情報誌は時給重視。また学校や家の最寄りの会社等で働くことを前提につくられており、エリアで検索する形のものが大半でした。しかし『フロムエー』は職種別編集が売り。今でこそ当たり前の考え方ですが、「自分らしく仕事をしたい」「自分の好きなことを仕事にしたい」といった感覚が当たり前になりつつあった時代で、「フロムエー」は、そうした当時の“新人類”の感覚を具体化したアルバイト情報誌を発刊したのです。
 (ちなみに、今でこそ「フリーター」というと正社員になれず厳しい環境に置かれているニートと同義語のように使われていますが、当時の「フリーター」は夢のある言葉。「自分らしく生きるために、アルバイトだって好きなことをする」「自己実現のための自分づくりの一歩がアルバイト」といった感覚の中で、前向きにとらえられるものでした)。
 当時の私は、アルバイトの傍ら(授業は???です)、「We can 80」というサークルを主宰。多くの会員を抱えていたこともあり、アルバイト先の編集プロダクションを通じて、「フロムエー」のマーケティングや販促のお手伝いもさせてもらいました。そして、それらの仕事を通して「自分らしく生きる」「自己の夢のために働く」という概念にいたく共感し、その後の社会人としての生き方に結びつくことになったのです。人は「食べるため」に働く。でも、それだけではなく「自己実現のために働く」。仕事を通して自分を表現したい、働く人が自己実現できるような社会をつくるために役立つ仕事をしたいと考えるようになりました。

─「就職」か「起業」か。自己実現のために「起業」を選ぶ─

 大学3年生の終わりから大学4年生の初めのころ。キャンパスライフを楽しんでいた学生たちも社会人としての自分を考え始める時期を迎えます。私自身もその一人であったわけですが、リクルート以外にもさまざまな仕事をしていた私は、就職する自分を想像できないでいました。
 その理由は2つ。1つは就職情報誌等の取材を通してお会いした人事担当者の「人を大切にする会社」といった言葉に違和感を感じたことでした。どの企業の人事担当者も「人を大切にする」とおっしゃるわけですが、その根拠の多くが社内風土や福利厚生面のこと。人間関係が良く風通しがいい会社、福利厚生制度が整っている会社は魅力的ですが、それが本当に人を大切にすることになるんだろうか。仕事を通して人が成長できる会社、夢を実現できる会社こそが本当の意味で人を大切にする会社ではないかと考えたのです。
 もう1つの理由は、夢は自分で実現するものだという信念です。今思えば、若さ故の思い上がりだったのではと恥ずかしさも覚えますが、ある程度、仕事に対する自信のようなものを感じていた私は、起業することで自己実現、夢の実現を図りたいと考えたのです。幸い、起業するなら仕事を発注してくれるという方々も少なからずおり、むこうみずな私は、起業という形で社会人としのスタートを切ることを決断。いよいよ、今日にいたるビジネスライフが始まりました。
 以下、現在の株式会社アプレ コミュニケーションズを設立するまでの約10年間、そして設立後の30年を振り返りながら、その時々の仕事と暮らしの様子をお伝えしたいと思います。