株式会社 アプレ コミュニケーションズ

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2020/08/31 更新

[第1回]新型コロナで顕在化した「不安」と「情報」の交差点

─ストレスが多い夏が終わろうとしている─

 そろそろ暑かった8月が終わろうとしています。今年の夏は、梅雨明けが遅れただけでなく、明けた途端に35度を超える猛暑が直撃。新型コロナの第2波が7月から8月にかけて襲ったこともあり、例年以上にストレスが多い夏になりました。最近の天気予報を見ていると、残暑は続くものの首都圏の最高気温が35度を上回ることはなくなりそうですし、新型コロナの感染拡大も、日々発表される新規感染者が減少傾向に。重症者数の高止まり傾向が収まってくれればひと息つけるかもしれないと、期待感が膨らむ状況にまでたどり着きました。

─「感染者」に対するバッシングがめだった夏─

 今年の夏に限らず、2020年の人々の暮らしは、新型コロナ感染症とともにありました。中国・武漢から始まった感染拡大はあっという間に世界中に拡大し、日本においても2月以降、3~5月をピークに第1波が襲来。「緊急事態宣言」を発出する事態になりました。そして、緊急事態宣言解除とともに収まったかに見えた感染の波が、6月下旬から再び上昇傾向に。高温多湿という、多くの専門家がウイルスの感染力が弱まると予測した時期にもかかわらず新規感染者が多数発生、人々はマスクをつけながら、夏の盛りを耐え忍んできたのが実情です。そしてコロナ禍の中でストレスは増大。やり場のない不安や苛立ちは、社会・他者への批判・非難という形で顕在化することになりました。
 もちろん、市民として正しい怒りを持ち、あまりにも無策に過ぎた政治にぶつけることは健全なことだと思います。緊急事態宣言を解除し、国会を閉じた途端、メッセージ一つ出さないトップをいだく政治、国と自治体で不毛な対立を繰り返す状況については、明確にNOを突きつける必要があるでしょう。
 しかし、たまりにたまったストレス、やり場のない不安や苛立ちを「感染者」に向けることは明らかに誤りです。また、感染したら何を言われるかわからないという恐怖心から帰省を拒まれた人々。クラスターが出たからといってアルバイトを拒否された大学生。きちんと感染症対策をしているにもかかわらず、たまたま感染者が出てしまったというだけで閉店・廃業に追いこまれた企業や店舗。なかには、感染者が出ていないにもかかわらず、店を開けているというだけで非難され、自警団による攻撃にさらされた企業・店舗もありました。
 未知なるウィルスに脅威を感じることはわかります。不安がさらなる不安を呼び、少しでも自分に降りかかる火の粉を振り払おうとする心理が生まれることも自然なことでしょう。しかし、増長した不安を他者に向け、攻撃をしかけることは誤りです。そんなことをしてもウィルスはなくなりませんし、人々の分断が進めば、互いに助け合うこともできません。いじめっこは、つぎの瞬間、いじめの対象になる。新型コロナ感染症においても、感染者を攻撃していた非感染者が、感染した途端さらなる攻撃に合う、そんな光景が連鎖する状況を、私は見たいとは思いません。

─情報リテラシーを高めて「正しく」怖がることの必要性─

 人は不安を抱え込むと、不都合な情報は耳を塞いで入れないようにする傾向があるそうです。また、自分と同じ意見に飛びつき、根拠もなしに賛同し、反対意見を述べる人を攻撃対象にしてしまうこともあります。
 新型コロナは「新型」であり、依然としてわからないことが多いウイルスです。しかし、第1波、第2波を経験することでわかってきたことも増えています。たとえば、感染しても無症状、軽症な人が多いこと。高齢者や基礎疾患を持っている人等、重症化しやすいタイプがあること。必ずしも感染者・致死率が高いとはいえず、ひと冬に約1,000万人の患者数を数え、死者も関連死を含めると1万人強に達するインフルエンザと比べても比較的少ない数に抑えられていること。感染経路についても飛沫感染が主であり、発症にいたる量のウィルスを浴びるリスクを軽減することが重要であること等々、これまでいたずらに怖がっていたことを軌道修正してくれるデータが登場しています。
 もちろん、新型コロナに感染し、当初無症状、軽症だった人が突如重篤化する事例も報告されていますし、若い人でも重症化し、死にいたるケースもあります。またインフルエンザと直接比較することの是非についても議論が分かれており、感染経路についても不明な点が少なくないのが実情です。
 したがって私は、「新型コロナなんて単なる風邪」だという意見には与しません。わからない点については正しく恐れることが必要だと思っています。しかし一方で、わかってきた点については素直に受け入れること。受け入れたことが後日、誤りであるとわかれば、その時点で軌道修正を図ればいい。「Withコロナ時代」においては、そうした柔軟な思考様式で個々人の情報リテラシーを高めることが必要なのではないでしょうか。

─メディアに煽られず、多角的な視点で情報を見る─

 人々が不安を増長させる一因になっているのが、メディアによる過剰な報道です。それも、情報を扱う仕事をしているわりにリテラシーが不足した報道、偏った報道がめだちます。たとえば日々報道される新規感染者数ですが、第1波と第2波とでは、検査の母数が異なります。「37.5度以上の熱が4日間続く」といったさまざまな条件をつけて検査数を絞った第1波と、検査数を増やし、対象を無症状の人にも拡大した第2波の新規感染者数を単純に比較して議論して何の意味があるのか。2つの波を比較するのであれば、最低限検査数に対する感染者の割合をきちんと示すべきですし、さらにいえば、無症状の人を入れた割合と除いた割合についても明示すべきです。
 しかし、メディアの多くはそうした基本的な統計処理をすることなく、新規感染者数のみを大きく取り上げて報道。視聴者や読者を煽動することで、視聴率、販売部数、閲覧数を上げようとします。そして受け手である私たちも、いつの間にか、「今日は何人だったから多い、怖い」とか「今日は何人だったから少ない、大丈夫」といった反応を示し、メディアの煽動にのって、不安を拡大。前述したような感染者に対する攻撃や差別、自警団のような行動に駆り立てられます。
 情報は多角的に見ることが大事です。数値を見るのであれば、最低限前提条件をそろえる等、統計的にとらえること。その上で、可能な限り実態を客観的に把握し、日々の行動に活かしていくことを心がけるべきでしょう。そして、新型コロナ感染症のリスク以外のリスク(熱中症や基礎疾患、メンタルヘルスといった心身のリスクから、経済的な死である倒産や自死等のリスクまで)についても目を向け、トータルな視点で全体のリスクを下げる対策を考えていくことが大切だと思います。
 私自身も、メディアをつくる側の人間です。さまざまなメディアを通して情報を発信しており、時に、人々を誤った方向に煽動しているのではないかと不安に感じることがあります。コロナ禍の今、あらためて自らの情報発信のあり様を問い、受け手にとって意味のある発信に努めていきたい。そんなことを思った2020年の夏でした。