株式会社 アプレ コミュニケーションズ

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2021/01/13 更新

[第2回]自助、共助、公助。暮らしにダイバーシティの視点を

─人は一人で生まれ、社会の中で、人と共に生きている─

 2021年が明けました。新型コロナ感染症の感染拡大によって1都3県に緊急事態宣言が発出され、人々の暮らしは、不安と苦悩の中で始まったといえるでしょう。
 そんな2021年の年初に暮らしについて考えるにあたり、昨年、菅総理大臣が強調された「自助・共助・公助」という言葉について考えてみたいと思います。というのも、これからの新しい暮らしを考えていくためにも、自助、共助、公助の本質を考えることが、とても有意義なものだと思うからです。

〔自分の人生を生きるのは自分。自立=自助〕
 当たり前のことですが、人は一人でこの世に生まれ、一人でこの世を去ります。時には双子や三つ子で生まれたり、集団で生命を落とすこともありますが、その人の人となり、人生は固有のものであり、人は個として生まれ、個として人生を生き、やがてその幕を閉じるのだと思います。
 したがって、自分の人生を自分で営んでいくこと=自立して生きることは基本のキ。一度きりの自分の人生を自分の力が切り拓いていくことは、充実した人生を生きて行くための基本的な考え方だと思います。

 1月7日に配信された「AERA dot.」の記事(ジャーナリスト財部誠一へのインタビュー記事)によると、菅総理は、『自助論』を著したサミュエル・スマイルズの影響を受けたそうです。『自助論』で最も有名なフレーズは、「天は自ら助くる者を助く」という言葉。菅総理は“たたき上げ”と言われるように、議員秘書、市会議員という草の根から総理大臣にまで上り詰めました。まさに、自助することによって天から助けられた存在、「努力は実を結ぶ」を体現された方なのだと思います。
 また、「自助」は、多くのビジネスパーソンにとっても基本となる言葉です。どんなにチャレンジできる環境を整えても、それを活かすか否かは本人次第。チャンスがあっても、それを活かすことができなければ現状に甘んじるしかありません。ニューノーマルが求められる時代おいては、変われないことは悪。環境変化の本質を捉えながら、変化にチャレンジしていくことが求められます。

 ただし、「自助」を「自助」として語るためには前提条件があります。それは、「自助」を成り立たせるためには、「自助」が可能となる土俵が必要だということです。私たちが生きる社会の中には、努力しても報われない人々、それどころか努力する機会さえ与えられていない人がいます。たとえば今、新型コロナ感染症の感染拡大によって失業に追い込まれる人が増加しています。環境変化に対応しようと懸命に努力をしながら、力が尽きて閉店や倒産に追い込まれる人もいます。もしそうした人に対して、「自助」だけを強調したら…。「自助」を求めること=「絶望」の2文字に追いやる可能性があることに留意すべきです。

〔人は一人では生きていけない。共生=共助〕
 「人という文字は、人と人とが支え合う形を示したものだ」と言われることがあります。正しくは、人が立っている姿を横から見た象形文字(甲骨文字)であり、人と人とが支え合うという意味はないそうですが、武田鉄矢主演のドラマ「金八先生」をはじめ、さまざまな場面で「支え合う」ことが強調されたことで、多くの人に“誤解(本質的な意味)”を与えることになりました。
 実際、人は一人では生きられません。生まれる時は一人であっても、生きるために必要な栄養を与えてくれる存在が必要ですし、一定期間保護を受けなければ自立して生きることができません。また、「言葉」を持った人間は、人とコミュニケーションをとることで社会生活を営んでおり、他者との接触を長期間遮断されると、心身にさまざまな悪影響を及ぼすことが指摘されています。
 つまり、人が生きるためには他者の存在が必要であり、他者として共生して生きることは人が人として生きるための基本的な要件だと考えられます。

 しかし他者との関係は、常に肯定的なものとは限りません。他者から認められたいという承認欲求が、他者を凌駕したい、優位に立ちたいという欲求に変化することがありますし、時には他者を蹴落としででも自分だけが勝利したい、生き残りたいという欲求に変化することもあります。
 とりわけ今日のように富の一極集中が進む世界では、人々は勝組に残るために、天から降りてくる1本の蜘蛛の糸をかつもうともがきます。これまで他者とつながっていた手を離し、対立や差別が起きても「我関せず」でやり過ごす。アメリカ大統領選挙をめぐる対立と分断、新型コロナ感染者に対する偏見や差別…今、世界・日本中で芥川龍之介の「蜘蛛の糸」で描かれた世界が多く見られている気がしてなりません。

〔人々の営みを支えるのが社会。安心・安定=公助〕
 今年は東日本大震災から10年という節目の年を迎えます。また、最近は大規模災害によって甚大な被害が生ずることが多く、その度に人々の暮らしは大きく傷ついてきました。そして昨年からは新型コロナの感性拡大が猛威をふるい、暮らしが立ち行かなくなっている人々も少なくありません。

 当然のことですが、そうした状況において、人々に「自助」を求める政治は酷です。菅総理が「自助・共助・公助」を唱えたことに対して、立憲民主党の枝野代表が「自助・共助・公助」は「昭和の成功体験にとらわれた時代遅れのもの」と批判しました。前述したように、人が自分の力で生きようとすることは、人としての本質的な問題であり、自助を唱えることが必ずしも時代遅れだとは思いません。しかし自助=自己責任論でくくり、頑張れば右肩上がりで良くなっていく、努力は報われるという思考回路で菅総理が語っているのであれば明らかに時代遅れ、もしくは克服すべき考え方だといえるでしょう。
 なぜならば、すでに右肩上がりの経済成長が続く時代は終わっているからです。また新自由主義的な価値観が蔓延する社会が続いたことで、富める者と貧しき者との格差は広がり、公助によってしか支えきれない層が増え続けているのが世界・日本の実情だからです。

 「公助」とは、人々の営みを支える社会システム。そこに職を失い、食に困っている人がいたら、生きるための基盤づくりをする。メンタルを患い、自死に追いこまれかけている人がいたら、人々とのつながりの中で支え合う。そうした視点から「公助」を捉え直し、新たな社会システムをつくりあげることが重要です。

─多様性を認めることの大切さ。暮らしの中にダイバーシティの視点を─

 今年は、解散・総選挙もあり、自民党の総裁選も予定される選挙イヤー。自助・共助を支える公助のあり方については、政治(選挙)という形で意志を形にしていくことが求められます。同時に私たちも、日々の暮らしの中で、自助・共助・公助の問題を問い直していくことが大事でしょう。そしてその際、ポイントとなるのが「ダイバーシティ」という視点です。

 ダイバーシティとは、「多様性」を意味する言葉。経営・人事領域で使用されることが多く、性別・年齢・人種・国籍・宗教・文化等の違いを認め、多様性を活かすことで企業の成長や組織の活性化に活かしていこうという考え方だととらえることができます。
 大量生産・大量消費といったビジネスモデルが過去のものになった今、付加価値のある商品・サービスを生み出すことためには、多様な視点から物事をとらえ、生産活動に反映していくことが求められます。ダイバーシティ・マネジメントは今、多くの企業で採り入れられ、実際に成果もあげており、今後ますます重要な視点になるといえるでしょう。

 このダイバーシティの考え方を暮らしの中に取り組んでいくこと。すなわち、個々の人間の多様性を認め、お互いの存在価値がイーブンであると認識する。たとえ価値観や考え方が異なってきても、互いにそのことを認め合える寛容さを持って暮らしていくことが重要だと考えます。また、イーブンである場からこぼれ落ちている人がいたら、助け合い、支え合いによってイーブンな状態に戻す(創り出す)手助けをする。公助でしか解決できないものがあれば、主権者として国や自治体に環境整備を求めることが必要でしょう。

 新型感染症であれば、感染した人を差別しない。回復した人を従来通り受け入れる。マスクの着用を奨励しながらもマスクができない人の存在を理解する。外出自粛に努めながらも、日々の暮らしを営むことができるように働いてくれている人々(医療や介護従事者だけでなく、生産者、物流・小売業者、飲食店、文化・スポーツ・イベント関係者等々)の存在意義を理解し、共に生きていくための方策を考え、行動することが重要です。
 感染状況が悪化・長期化する中で、いつのまにか物事をとらえる視点が狭く、硬直化しているなと感じることがあります。飲食店をめぐる協力金をめぐっても、多い、少ない、出るところと出ないところがあって不公平だという意見が飛び交っています。その意見一つひとつは皆、納得できるものではありますが、意見さえ言えない人がいることが視野に入っているでしょうか。
 年末年始、年を越えられない人に対して食糧等を配給する光景が随所で見られました。子ども食堂には、職を失い、生活がままならなくなった親たちが、当座の食糧を求めて集まってきます。さらにテレワークでは、家族の会話が増えたと喜んでいる人がいる一方で、DVが増加、日々恐怖におののいている人も存在します。
 自分だけが不幸ではない。自分が置かれている厳しい状況に加え、世の中にはさまざまな悲しい出来事、社会の歪みが生まれていることに眼を向けるべきだと思います。ダイバーシティは、単に多様性を認めることではなく、多様な人々が自分らしく生きられる環境を創造していくためのキーワード。理不尽な状況を理不尽な状況のまま認め合うのではなく、異なる状況に置かれている人の暮らしを知り、同じ人間としてつながり、共によりよい暮らしを創り出していくためのキーワードであると信じています。

 緊急事態宣言が発令されて心配なこと。それは人々の分断と排除です。新型コロナ感染症が収束した時に、人々とのつながりが途切れないこと、むしろ、社会が一人も取り残さないシステムを構築し(公助)、連帯の輪がつながり(共助)、自ら必死に生きようとする人(自助)を支え合う社会が創り出されることを祈念しています。