2020年に突如襲った新たな感染症リスクは、世界中をパニックに追いやり、いまだ止まることを知りません。ワクチン開発が進み、欧米を中心に接種が始まりましたが、接種してどの程度効果があるのか。またどれだけの副反応が現れるのか、やってみないとわからないというのが本当のところです。さらに、変異したウィルスが次々現れる中、開発されたワクチンがどこまで変異に対応できるのか…。世界中の知見を動員しても、収束の見通しがたたないのが今の実情です。
そして20年12月31日、欧米に比べて感染者も死者も少ないことを理由に、「日本は大丈夫だ」と思っていた人を揺るがす数字が示されました。「1,337人」と「4,520人」。前者が東京都の新規感染者数、後者が全国の新規感染者数で、いずれも過去最高の数字です。もちろん、検査を増やせば感染者数も増えます。最近は民間の検査機関で自主的に検査を受けることができるようになり、無症状でも発見される感染者が増えているのも事実です。しかし、本来検査数が増えれば低下するはずの陽性者率も上昇の一途を辿っていますし、民間の検査機関で発見された新規感染者は、必ずしも公的機関が発表する数字に反映されているわけではありません。その意味で明らかに新型コロナウイルスの感染状況は深刻さを増していると考えることができます。
新型コロナウイルス感染拡大といえば、「三密」の回避、マスク、手洗いといった基本動作を徹底することが強調され、急速に感染拡大した地域に対しては、飲食店を中心に営業時間の短縮が要請されます。また、国民・市民に対しては、国や自治体から不要不急の外出自粛や会食自粛が呼びかけられ、多くの国民・市民がその要請に応えるべく努力を重ねてきたのは周知の通りです。
しかし第3波の今、明らかに国民・市民の意識・行動は変容しています。国や首長が幾度となく呼びかけても、それに従う人々の割合は、明らかに減っています。営業時間短縮の要請に応じない企業・店舗では、「わずかな補償金では店を閉めていられない。死活問題だ」という意見が増えていますし、利用する側も、コロナ疲れや、「正常性バイアス」によって「自分は大丈夫。かかっても軽症ですむ」と考える人が増加する傾向にあります。
本来なら、特措法の改正も視野に収めながら、休業には補償を、誤った認識については政治の側から正しい情報と乗り越えるための力強いメッセージを送るべきです。しかし、法改正については半年間も時間があったのに対応せず、メッセージについてもドイツのメルケル首相のような共感を誘う言葉を発する政治家は見当たりません。加えて、会食を自粛する側である政治家が会食を繰り返し、「会食を目的にしていない会合は会食ではない」といった詭弁さえ聞こえてくるのですから、「首相だって食事をしているのに何が悪い」「大人数で食事をしても、仕事が目的ならいいんだ」という気持ちになることは自明の理。日本の政治の無為無策、それに伴う国民・市民の政治不信が新型コロナウイルス感染症の拡大を後押ししているといってもよいのではないでしょうか。
第1波が収束に向かったとき、多くの有識者が「新型コロナウイルス感染症の本当の危機は秋・冬だ」と言い、「今のうちに根本的な体制を整えるべきだ」と注意を促していました。しかし、安倍政権は「増やす増やす」と言っていた検査を増やすことができないまま、「体調不良」を理由に退陣しました。また、破綻に瀕した保健所体制の見直しや、医療体制の脆弱さについても「改善する」と言いつつ、放置したまま次期総裁選びに突入。バトンタッチされた菅政権は、「Go To」に象徴される「経済優先」の新型コロナ対応に固執、気がついたら、感染者の急増、第1波で懸念された“医療危機”が出現しています。
たとえば今、新規感染者の急増で保健所が機能不全に陥っていますが、コロナ前にあれだけ保健所機能を縮小してきたのですから、今のような状況に陥るのは予測できたこと。早急に保健所機能を強化するための法改正に動くべきですし、改正までの間は、現行の保健所の機能を整理・再編し、破綻しない体制を構築すべきです。
また、欧米に比べて感染者も重傷者も少ないのに医療体制が危機に瀕しているのは、日本の医療現場は民間クリニックが大半を占めているという構造的な問題が大きな要因。そうであるなら医療機関との連携を強化するための法整備やルールづくりを進めることが必要ですし、それまで待っていられないなら、膨大に積んだ予備費を活用することで経営上の問題をクリアするよう対処すべきです。その他、看護士や医療技術者不足の問題も、半年の時間があれば、人員確保やトレーニングも余裕を持って環境整備ができたと考えますし、第1波からの半年間にわたる政治の無為無策が残念でなりません。
日本の代表的な経営者の一人である松下幸之助氏が書いた本に、「私の夢・日本の夢・21世紀の日本」というものがあります。その中で氏は、政治について、つぎのようなことを言っています。
「民主主義国家においては、国民はその程度に応じた政府しかもちえない」
「国民が政治を嘲笑しているあいだは嘲笑いに値する政治しか行われない」
日本は民主主義社会です。民主主義国家においては、国民が選んだ代表者が国会で議席を獲得。多数の議席を占めた政党が政権を獲得し、国政にあたります。地方自治体も同様で都道府県・区市町村の住民が選んだ代表者が議席を獲得し、多くの議席を占めた政党が地方政治を担うことになります。そして、人々が遵守することを義務づけられる法律や条例は国会や地方議会で議論され、制定されます。
つまり、今の政治に問題があったとしても、それはそうした政治家を選んだ私たちに責任があります。感染拡大が進む中、「ガースーです」とネット番組で自己紹介した首相を見て「空気を読めない」と嘲笑った人も少なくないと思いますが、そうした総理を選んだのは私たちが託した国会議員。間接的に私たちが選んだことになり、自業自得だといえるでしょう。
先に、新型コロナウイルスの感染拡大について、政治は無為無策であると記しました。しかし、そうした政治家を選んでいるのは私たち国民です。政治に不信感を募らせるのは自由ですが、向けるべきベクトルは、政治家だけではく、自分自身であることも認識すべきです。そして、今の政治がおかしいと感じるなら、政治のあり様を変える行動をすること。まずは、政党、政治家個人の言動をきちんと把握し、最善の(最善がなければ次善の、次善がなければ次々善の)投票行動をとることを心がけるべきでしょう。
新型コロナウイルス感染症と絡めて、政治の話を書きましたが、コロナが収束したからといって危機が去るわけではありません。次の感染症が出現するかもしれませんし、巨大地震や大型台風等の自然災害のリスクもあります。また、地球環境の問題や格差・貧困の問題、私たちの身の回りにはさまざまな問題があり、それらを一つひとつ解決しなければ未来はありません。また、働き方をめぐる環境変化の中で、ワークルールについても見直しが必要でしょうし、ビジネスパーソンにとっても、政治=他人事ではありません。
コロナ禍によって、私たちは、当たり前の日常があることの大切さを知りました。また、人との接触機会が減少したことで、あらためて人とのつながりがかけがえのないものであることを実感することになりました。私たちの仕事と暮らし、そして大切な人との関係を持続可能なものにするために、あらためて政治に関心を向けること。「民主主義」の意味をあらためて考え、受け手ではなく、当事者として政治、そして社会の問題を捉え直していきたいと思います。